akanechann’s diary

日記帳兼メモ帳兼文を書く練習

東京に帰りたい

帰ろうと思えばいつでも帰れる距離には居る。

 

だけど私が重しになってどうしても近寄れない...

 

結局考えすぎて、こんがらがって、自分が自分を苦しめてもう何年目なのやら

 

重しになる私を殺そうとする元気はあるにせよ、勝算がどうにも高くなく、その元気がいつまであるかもわからん

 

どうすればいいのかなぁ、どうするのがいいのかなぁ

その勢いのまま壁に

 ドーン

 

 辞めようと思っていった先の話合いで、現状や自分の性質の再認識があって、結局再考に入ってしまった。

 

 強行で止めるのも手ではあるし、あの人たちも私を思ってあれこれ言っていたのではないというのは分かるけど、客観的な事実や経験に基づく警告はしっかり頭に入り込んでくる。

 

 友人に辞めると言ってしまった手前、先生方に辞めると言ってしまった手前、戻るのもすごく選択しづらく、就活に挑む気力も大分削がれてしまった。

 

 そういえば私はそんなヤツだった、後先考えずに突っ走っては大怪我してしまう。

 

 なんにせよ少し時間はあるから、しっかり考えたい

勢い余って

 

 ブログの方の更新はますます勢いが落ちる一方だけど、現実の方の私はなかなかに好調だ。

 

 まず入った学校での成績は良く、始めたバイトの仕事は覚えたし、どちらの人間関係もまずまず上手くいっている。

 学生時代に取れなかった資格は一発で合格したし、学校に隠して受けた公務員試験も一切勉強も準備も無しなのになかなか良いところまで行けてしまった。

 私は何も出来ないから、就活する元気もないから、と実際のところ後ろ向きな理由で入った学校だったが、そこで人と関わったり、いろんなことに取り組んだりしているうちに、ダメなりの自信と、それなりの元気を取り戻せてしまったのだ。

 

 元々学校は期間が非常に長いため、通い終えたら資格と引き換えに大卒としてはほぼ終わってしまう、過ごした四年間がほとんど無駄になってしまうと言うことで、大変に迷いがあったが、就職や、それ以後の状況を鑑みて、結局入ることを選択したはずだった。

 しかし、いざ曲がりなりにももう一度人間社会に出てみると、私は本当に何も出来ない人間だったのか、あの四年間は本当に無駄だったのか、と思わされるような状況に多々遭遇することになった。

 そして、もう一度大卒として就職活動をし、あのころ目指した方向性に加えて、あれから三年の間に経験したたくさんの事も忘れることなく、よりよい状況を目指してみたくなったのだ。

 学校が辛いとか苦しいからやめる、とは違うし逃げではないはず...

 

 このまま学校に通っていれば、体力的に厳しく、給与の少ないが、社会の役に立つ仕事が一生保証される。

 でも、私はその安定(?)を捨てて、新しく挑戦をしようとしている。

 大学時代のわたしは、とにかく安定、安定ばかり目指していたような気がする(結局失敗)が、そんな手にした安定を捨て去り、よりよい状況、明るい未来を求めて動こうとしている。

 

 おそらく、就職してから、というより、無気力状態で大学に入ってからずっと続いていた、鬱病が完全に治ったのだろう。

 

 今の私は、相変わらず考えすぎてしまうこともあるけれど、毎日が楽しいし、やりたいこともある、欲しいものもたくさんある。

 

 当然ながらこの挑戦がどのような結末を迎えるかは一切想像がつかないけれど、どうかここまでで学んだ、人とのつながりの大切さと、わたし自身が望むこと、他細かな経験あれこれを、どうか忘れずに、無理せず、趣味にも興じながらやっていこう。

 どのような結果も味わったドン底に比べればずっとマシであるし、私にはバイクがあるし、友達もいるのだから。

 

 

 さしあたってはそんな決意を怖い怖い先生に伝えるところからだね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気付けば一年経っていた話

 このブログを始めてから一年経っていた。尤も最近は二月にいっぺんしか更新していないが。

 

 

 一年前にニート状態から脱却するために、いろいろ動き出したその初動は車を直すことだった(結局売ってしまったけど)。いろいろ自分なりに調べて、動かない体を引き摺ってホームセンターで重いバッテリーと工具を買ってきたのは昨日のことのようだ。

 それが巡り巡って、自動車整備を学ぶ今に繋がっている。結局実質的に公立の専門学校である訓練校には受かったのだ。

 

 

 長いニート生活が祟って、実習は死ぬほどつらいし、人付き合いはもっとつらい。けれども続けて行けば就職は確実だし、欲しかった生きていくための技術も身に付くことだろうから頑張っていきたい。気楽に、とはいかないが、すべて前向きに捉えて、今度こそ逃げずにやっていきたい。

 

 

 バイトはどうするかとか、どこを着地点にするかとか、18歳に20台が紛れるのは骨が折れるとか、やっぱり私は人と違っているだとか、悩みや再認識が多い。

 でもこれはたった一人の自室から社会に出て、他の人や組織と関わってこその事なのだろう。自分で改善できるところは改善していくにしても、やっぱり変われないところも多いが、一人でそのまま腐っていく事よりはきっと幸せであると信じて、その辺ともしっかり向き合っていきたい。

 

 

 買ったバイクで走るのは楽しいし、少ないけど気のいい友達も出来た。学校は大変だけど充実している。家族仲もそれなりに修復されてきた。趣味もできた。バイトはやめたい。

 一年前とは比べ物にならないほど良い状況だと思う。こうなることを見越して、動かない頭で少しづつ仕込んできたことが日の目をみた形ではあるけど、実際上手くいくかは分からない部分も多かった。実は自分は運が良いのではないかと勘違いしつつ、今日もバイクの練習にいってきます

その後のおはなし

 あれから帯状疱疹は治り、アルバイトは結局始めた。

 

 

 久しぶりの社会との接点であるアルバイトは、短時間とは言えやはりちょっと疲れる。年下の先輩に目の前で評価を下されるというのはなかなか堪えるものがあるが、今後もそういう機会は増えてくるだろうから割り切らないといけないな。ともあれそれなりに仕事も覚えて頑張っているからこれはこれでよし、当初の約束を反故にされない限りは続けたい。

 

 

 10月ごろから始めた二輪の教習は一回試験に落ちたが、二度目で合格、さんざんバイクは倒したし、教官に威圧されながらもなんとかやりきれたようだ。

 あとは試験場に書類を持って行って、免許交付ってところ。バイクを買うのは今後の方針が大体決まったらなので少しお預け。

 

 

 さて、あれこれ状況は変わりつつあるが、今現在控えるもっとも大きいものとして、職業訓練校の試験がある。高校受験からかれこれ何連敗かもわからない大事な試験だ。結局コースは当初予定していたものにしたわけだが、それの試験が近い。出来ることはすべてやるつもりだが、正直言ってどうなるかは分からない。

 これに落ちれば自分で就活、受かればそれ自体が就活になる訳だから、そろそろこのクソみたいな生活も終わりが見えてきている。

 

 受かろうが落ちようが、今の私にはやりたいことがあるのだから、きっとやっていける筈、無理なく落ち着いて頑張っていきたい。

帯状疱疹となやましいおはなし

 それなりの決意を胸に迎えた新年だったが、新年早々いろいろよろしいようでよろしくない。

 

 

 まず以前考えていた職業訓練云々は、年齢や訓練期間、実情を踏まえて再考に入り、直近に於ける最懸念事項である。

 ハロワに就業相談に行ったところ、学歴や中途半端な年齢から、今一度会社で育ててもらった方が良いのでは、という事も伝えられ大変に悩ましい。

 経験から技術無しで出来るような、一般に誰にでも出来ると言われているような仕事がどうにも、あからさまに向いていないので、何かしらの技術を武器に戦っていくのが良い、という部分はしっかりと頭において考えていきたいが...

 

 

 そしてそんな中、1月半ばから始める予定だったアルバイトも控えているというのに、結構ヒドイ病気になってしまった。

 帯状疱疹、というヤツで、体内にあるヘルペスウイルスが免疫力の低下などで表に出てきて、文字通り帯状の疱疹を作ったり、神経を侵して色々悪影響を及ぼすというものだ。

 妙な赤い発疹と、リンパの腫れ、気怠さからが数日前からあり、ネットで調べたところ、おそらく帯状疱疹であり、対処しないと後々後遺症なども残って大変とのことなので、新年早々病院めぐりとなった。

 診断では案の定で、やや遅れての対処だったためしばらくは動けないレベルの体調の悪さだったが、大量に処方された薬でやや持ち直し始めたところだ。

 

 結果として顔や頭皮に帯状疱疹が出て人前に出られる状態でなく、その職特有の装備も当面はつけられなくなってしまったので、アルバイトは難しくなってしまい、上記のなやましい事についても一時中断中という現状だ。アルバイトはともかく、職業訓練や就職まわりは期日があるので、やや焦りのようなものはあるのかもしれない。というかそういうストレスも一因だったようだ。

 

 新年早々出鼻をくじかれたような形になってしまってはいるが、焦りやストレスは前進の副産物みたいなものであるだろうから、ここ最近の有り様にしてみれば案外悪くない兆候なのかもしれない。ずっと先にストレスのない暮らしが待っているのだとしても、そこまでは結局のところ付き合っていかないといけないのだから、すっかり下がってしまった、というよりもともと低すぎたストレス耐性をこうしたことを乗り越えて、高めていけると良いのかな、と前向きに捉えていきたい。

 

 まぁ取り敢えず体調なんとかしないとな...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年のおはなし

 気が付けば前の日記から二月。二か月おきに、その間の事を振り返ってみるブログと化している。

 前の投稿からまた色々あったが、ついでに今年一年も振り返ってみようと思う。

 

 

 今年は仕事を鬱で休職して、特に望みもなく、早く死にたいような、そうでもないような、訳のわからない心境、加えて社会からは完全に途絶していて、人として最底辺レベルの状態で1月1日を迎えた年だった。

 

 そこから動かない体を引き摺って焼肉を食べに行ったことだったか、運動するようになったことだったか、絵を描くようになったことだったか、なにかささいなことがきっかけで、多少元気が出てきた状態で、春を迎えた。

 

 車を直してみたり、自治体のセミナーに参加してみたり、ゴルフバックをバラバラにしてみたり、都会でネカフェ生活をしているうちに夏になった。

 

 そのころにはもう完全に年始のひどい状態からは脱していて、ぼんやりと今後の事を考えたり、幸福を願うようになったりはしていたっけ。

 そして車を売ったり、引っ越したりに手間取って、結局仕事を辞めかの地を去り、ここに来たのが秋ごろ。

 

 ここで社会と接点を持とうとしたり、家族と復縁したり、なんやかんやまたあちらに行く羽目になったり、夢だった二輪に乗るために免許を取りに行ったり、本格的に今後の事を考えて、あれこれもがいているうちに気付けば今日だ。

 

 書き出してみると、意外に色々やっていたんだな、となんとなく面白い。

 

 総括してみると、-20から-5くらいになった年だったように思える。少なくとも去年よりはいい年だったと言える。

 

 それを踏まえて、直近や、来年について思う事としては、

 

 まず今後について考えた結果、今私がすべきことは生きるため、望みのために就職する、そのための技術の習得である。頭を回すのは、というより人を前にするのが苦手な以上、やはり商売相手はモノの方が良いとの経験則だ。クビになっても技術を武器に次にいけるし。

 具体的には車が必要な土地で暮らした結果分かった車の知識の需要の多さ、生活に関わるその仕事の意義なんかから、整備士を目指してみようかと思っている。

 大学でまなんだことは知識は知識、それ以外にも得たものはあったとしてひとまず置いておいて、兎に角需要のある技術を身に着けたい。その志でもって職業訓練校(倍率2倍程度)に入ることが直近の目標だ。

 ここを達成できたら、取り敢えず0地点に戻ることが出来るだろう。もちろん落ちる可能性がある以上、そのあとの事も考えておかないといけないが。

 

 それから、やはり今年は友人でも恋人でも、人とのつながりを作りたい。

 去年はアレコレやったものの、全て一人で終始していた。苦手だから、ともうずっと昔から避けていたようなものである人付き合いは、実は自分が最も望んでいたものだという事は長すぎた一人の時間によくわかった。

 が、正直言って何をすればいいのかはわからないので、取り敢えずは人のいる方向へ方向へ行ってみることを心がけるところから始めよう。

 

 今年はそこまで悪い年じゃなかったけど、来年も今年くらい、欲を出せば今年よりすこしでもいいのでいい年になりますように。